スランプ?

人と話すことは嫌いじゃないけど苦手科目である。そういうのをコミュ障というのではなくて口下手というらしいが、口下手もコミュ障に内包されているのだと思う。自分が口下手なのかコミュ障なのかなどどちらでもよいが、仕事をする上ではどちらも厄介なことだ。最近また人と話すことが怖くなってしまっている。この前の打ち合わせでもうまく説明することができなかった。最近そんなことが多くて、仕事の調子はすこぶる悪くてミスのようなものを連発している。どうにかしたいけどどうすればいいかわからない。今までどうやっていたかわからなくなっているし、少しだけあった自信もだいぶ減ってきている。将来が不安でたまらない。年齢だけ重ねて何もできず、話もできず、そんな腫れ物のような存在に自分がなりそうで恐ろしい。自分が進む道はこれでよいのだろうか。別の道があるのだろうか。

こんな自分を応援してくれる人や尊敬してくれる後輩がいてくれるのは嬉しいけどいつか見限られそうで怖い。期待が辛い。

スターにはなりませんでしたが の感想。

どきどきキャンプ佐藤満春さんの書、「スターにはなれませんでしたが」を読みました。あっという間でした。家に届いてからは時間あるときはこれを読んで過ごすことがほとんどでした。こんなに夢中になって読んだ本は久しぶりなので少し感想を書いてみようと思います。慣れないので皆目見当外れでつまらない駄文かもしれませんがご容赦ください。

この本では佐藤満春さんの人間の部分、人生観や仕事観、これまでの歴史などが綴られています。その中で一番衝撃だったのはやはり、なぜお笑い芸人になったのか、という部分です。

率直に言うと、消去法とのことです。これには驚きでした。特技、秀でるもの、才能がなく、興味や趣味もない。そして選んだ道が人生を救ってくれたラジオに関わる仕事をするために、お笑い芸人になる。これすごい選択だなと思いました。彼のことはオードリー好きの僕はもちろん何年も前から知っていましたが、人間性の部分が見えるようになったのはここ数年でした。前へ前へ出るような積極的な方ではないな、ということはわかっていましたが、まさかここまで消極的な方だとは思いませんでした。なのでとても印象に残っていますし、本の中で佐藤満春という人間を印象付ける大きなキーになっているのではないでしょうか。

ただ、僕はこうも思いました。こんなに消極的な理由であれば、早いうちに諦めて次の仕事を探すことだって可能性として十分あり得たはずです。でも彼はここまで着実にキャリアを積み、芸人としても放送作家としても名を残しています。ということは、理由は消極的に見えるかもしれないけど、内には確かな情熱を持っていて、自分自身、その情熱を信じ、燃やし続けることができるほど、この仕事が大好きだし、この仕事を選んだのはある意味必然だったのでしょう。さらに、お笑い芸人としてブレイクした際に、ひな壇のような大人数の仕事は向いてないからテレビには出ずに放送作家の仕事を中心にしていこう、という自己分析力、そしてその判断力、速さ、実行力もすごいです。なかなか簡単にできることではないと思います。彼は本の中で幾度となく自分には特別な才能も能力も華もないと言います。でも僕からしてみたら十分すぎるほどの才能を持っていると思います。若林さんや春日さんにはないものを持っていると思うし、だからあの二人は彼を信頼しているのでしょう。その他大勢の方々も同様です。彼には選ばれるそれだけの理由があります。

 

あくまで個人的な感想です。本人に読まれたらセンスが無いと思われてしまうかもしれません。でもいいんです。僕はそう思いましたし、そう思う方は少なくないのではないでしょうか。

あと、こんな平凡な僕が言うのも恐れ多いですが、僕が今の仕事を選んだのも彼が芸人になったのと同じような理由だったので、印象にのこりました。僕の場合、大学時代の経験から、今の仕事以外で自分にできそうなのがなかったのです。しかも彼よりももっと酷いのが、僕は今の仕事にもとから興味ありません。今も別に興味ありません。入社したばかりの頃は、合わないと思ったらすぐやめようと思ってました。向いてないなと思うことも未だに頻繁にあります。ただ、今のところ面白いと思えるときもあるし、それなりに評価もしてもらえてるし、続けてみてもいいかなと思えるので続けています。特に上司に評価してもらえてるのが大きいです。まあうちの部署は人数少ないのでなんとも言えないのですが。評価してもらえるということは、少なからず向いている部分があるということなのでしょう。佐藤満春さんも本の中で似たようなことを書かれています。僕は彼の言葉を信じて頑張ろうと思います。

 

こんな感じです。僕は彼のように説明する力は著しく乏しいのでろくな感想文じゃありませんが、一言言えるのは、この本は僕にとって今後の人生において大きな指針となるだろう、ということです。何かでつまずいたり、悩んだりしたとき、彼の言葉が励みになるのだと思います。若林さんのエッセイと同じように。そしてこれからきっと何度も読み返すと思います。そんな貴重な本に出会えて本当に良かったです。

 

余談ですが、大学時代、自分自身に絶望して、もうまともな人生は送れないな、と思って自分の好きな「人を笑わせる」ということに一縷の望みをかけてお笑い芸人を目指したこともあり、スクールのオーディションを受けたりしました。でも僕には周囲の反対を押し切るほどの説得力も勇気も才能もありませんでした。最近は特に自分のつまらなさ、平凡さに落ち込むことが多いです。もしあのままお笑い芸人になっていたらと思うと、、、ゾッとしますね。。。僕はお笑いは画面の外から楽しみたいと思います。

一人でいる時間

今週は土日があっという間に終わってしまった。

忙しかったわけでもなく、何もしなかったというわけでもない。ちゃんと用事があり、用事はちゃんと済ませた。なのに何だか今週は一瞬だった。なぜだろうと考えたので整理する。

朝起きて大型ショッピングモールへいき、とある人と合い食事をして解散。その後は一時間ほどドライブをして帰宅。帰宅後、家のポストに投函されていた「スターにはなれませんでしたが」を読む。読書、筋トレ、読書。夕飯を作り読書。11時ごろ1日でかけていた妻の迎え。風呂、就寝。何もしないままあっという間に土曜日を終えたという感覚。独身時代を思い出す。

日曜日は朝髪を切り、妻と昼食。その後ショッピングモールへ行き買い物。帰宅。髪切ってから帰るまで約3時間。そのまま昼寝。それから夕飯を食べ、風呂に入り終わったのが10時頃。

 

よくわからないが、おそらく自分にとっては一人でいる時間は無に近いのかもしれない。自分時間ではなく、自分しかいない時間。思えば自分ひとりしかいなかった大学4年間はあっという間だった。記憶も殆どない。記憶に残るほどのことをしていないのは勿論だが、一人しかいない時間というのはかなり時間の流れが早いのだろう。だから大学時代はあっという間で、その間何もしてなかったので記憶もないのだろう、と今思った。

ということで、自分時間は欲しいが、一人でいる時間はいらないなと思った週末だったのである。そしてサトミツさんの本がかなり面白い。久しぶりの読書だが、このペースで読み進められるとは思っていなかった。もう少しで読み終わりそう。久しぶりに小説とかも読もうかな。

久しぶりの当たり。FLY EAGLES FLY

とても久しぶりにスポーツ観戦で熱くなりました。

どうやら僕は昔から飽き性のようで、なにかに興味を持ってはすぐやめる、投げ出すような子供でした。そしてそれは基本的には今でも変わらないと思います。でもたまにしばらく熱中できる「当たり」を引くときがあります。それがサッカーでした。

サッカーを始めたのは小学5年生の頃。当時いつも通り小学校の授業を終え、家に帰るとリビングの小さなこたつテーブルの上に近所のサッカースクールの資料が置かれていました。当時僕は別のスポーツをやっていたのですが、とにかくそれが嫌で嫌で仕方ありませんでした。早くやめたくて、逃げ出したくて、練習がある日は子供ながらに少し鬱状態でした。そして同時にサッカーがやりたいなとなんとなく思っていました(口に出していたのかもしれませんが)。そんな僕にとって、その資料は楽園への招待状なように見えました。本当はスクールではなく少年団に入って、土日は試合とかしたかったのですが、とにかくサッカーがやりたかった僕は毎日毎日夢中で資料を読んでいました。資料にはその月のレッスンの日程や練習風景、コーチの紹介などが書かれていました。そしてそれを読んではそこでボールを蹴る自分の姿を妄想していたのでした。サッカー好きとはいえ、当時まだ小学生だったということもあり、サッカーといえば日本代表戦を見るぐらいしかサッカーに触れることはなかったので、自分の妄想はとてもあやふやでしたが、胸の中は期待でいっぱいでした。

 

サッカーは高3まで続けました。プレーヤーとしてのサッカーは上手くいかないことのほうが多く、上には上がいるということを痛いほど経験しました。でもとても楽しいもので、今までの人生で一番のめり込んだと胸を張って言えるものでした。

しかし、どんなに燃え上がった炎でも、燃えるための燃料がなければだんだん火が弱くなるのと同じように、大学生になるとサッカーに対する熱はどんどん冷めていきました。理由は単純で、サッカーをやる機会が失われたからです。ではなぜサッカーをやる機会がなくなったのか。大学生であればサークルだの体育会とか社会人とか選択肢はたくさんあると思います。しかし、どの選択も僕にとっては辛いものでした。

まず、体育会ですが、僕の通っていた大学は超名門大学で、毎年プロを排出しており、スカウトやセレクションを通過する等がない限り入れないものでした(もしかしたら届けを出せば入れたのかもしれませんが、入れたとしても禄に試合に出れないことは明白でした)。そのため必然的にサークル、社会人が選択肢として入るわけですが、僕は当初サークルでサッカーを続けるつもりでした。ですが僕の性格上、それは困難なものだとわかり、入学して3ヶ月ほどでサークルのライングループから抜け、サッカーから離れることになりました。僕は元々かなりの人見知りで、さらに大人数が苦手でした。サークル、殊サッカーサークルにおいては特に社交性、大人数でいることを求められることが多く、サッカーができればそれで良い僕は、飲み会は無駄で苦痛なものでしかありませんでした。しかし、サークルで浮いた存在にならずに溶け込むには飲み会への出席は必須。サークルの輪は無秩序に彩られたゲロで結ばれているのだ、と悟ったあの日、僕は家でラインを開き、幹事が展開した、居酒屋の前で撮った集合写真を保存することなく、退会ボタンを押しました。

 

そんなことがあり、すっかりサッカーから離れ、学校バイト家、学校バイト家を往復するだけの生活を3年ほど続けました。サークルをやめてしばらくはたまに代表戦など見ていましたが、だんだん代表戦をやっていることすら知らず、朝起きたらツイッターが日本代表への批判で荒れているということが普通になってきました。ただ、2018年のワールドカップは流石に見てました。大学3年生でした。ベルギー戦は深夜でしたが大学生ということもあり、最初から最後まで見ました。あの試合は久しぶりに燃えました。昌子の涙にもらい泣きする方も非常に多かったのではないでしょうか。実は僕もその一人でした。あれは流石に泣きましたし、次の日何もやる気が起きなかったのを覚えています。そしてその日を最後に、サッカーの火が再び大きくなることはなく、消えてしまったのだと、今そう思います。

 

そしてサッカーの火が消えたのと時期を同じくして燃え上がる、「当たり」が自分の中でやってきました。それが「NFL」でした。

アメフトといえば、自分の中ではアイシールド21でした。アイシールド21は確か僕が小3〜4年生ぐらいの頃にアニメやってるのを知り、ルールよくわからないながらも見ていたのを覚えています。時々アイシールド21を思い出してはアメフトのルール覚えたいなーと思い、ルールを調べるのですが、やはり実際の試合を見ないと覚えられず、タッチダウンで7点入る、ということしか覚えられませんでした(NFLを見るようになって初めてタッチダウンそのものは6点で、その後のボーナスのキックを決めることで1点追加で7点入るということを知りました)。ではなぜ見るようになったのかというと、きっかけはオードリーのNFL倶楽部でした。

僕はオードリーが大好きです(今度ブログで書いてみます)。大学3年生の当時、自分には生きる楽しみがオードリーのオールナイトニッポンしかありませんでした。リアタイ、そしてyoutubeで過去のオードリーのオールナイトニッポンを聞く毎日を送っていました。

あの日もいつものようにオードリーのオールナイトニッポンyoutubeで聞いていると、関連動画にnfl倶楽部の動画がありました。今のNFL倶楽部でも本編とyoutube版で2つありますね。オードリーがNFL倶楽部という番組をやっていたのは知っていたのですが、何故か見ていませんでした(本当に何故だったのでしょう)。そこで、そういえばどんな番組なんだろう、とその動画をタップするとオードリーの軽快なトークとともに屈強なアメリカ人たちによるとてつもない、同じ人間とは思えないようなプレーの数々が流れてきました。まさにハートを鷲掴みされたような感覚で、その日、NFL倶楽部に上がっていた動画全て見切るくらいの勢いで、テレビにかじりつくという表現がよくありますが、スマホにかじりついていました。その週からオードリーのNFL倶楽部は毎週欠かさず見るようになりました。そして好きになったのがフィラデルフィアイーグルスというチームでした。

理由は単純。あの緑色と白のシンプルな色合いのジャージがとてもかっこよかったからです。ただ、僕がイーグルスを好きになった頃、イーグルスはそこまで強くはありませんでした。プレーオフは出るけど、一回戦負け、というのを毎年のように繰り返していたと思います(見始めるちょっと前にスーパーボウル優勝してました。NFLファンになるのが少し遅かったです)。

そして今シーズン。NFLを見始めて5シーズン目。我がイーグルススーパーボウルに出場しました。NFLを見始めて5年で一番の推しチームがスーパーボウルに出るという夢が叶いました。スーパーボウル当日は仕事でしたが、在宅だったのでPCの横にIPadをセットし、試合を見ながら仕事を進めました。まあ、当然仕事進みませんでしたが。

結果は皆さんご存知の通り、イーグルスは負けました。マホームズ、嫌いです。どうやったら奴に勝てるのでしょうか。でもマホームズはこれからもラスボスとして君臨し続けてほしいです。そしてハーツ。あのファンブル。1番悔しいのは本人でしょう。今後あの瞬間が夢に出てくること間違いなしです。ハーツは大学時代からなかなか最後に結果を残せない選手のようで、ドラフトでもハーツの指名は懐疑的だったようです。そしてTwitterでも散々な言われようです。でも彼は1年でかなり成長しました。これからも彼には成長してもらい、再びスーパーボウルの舞台に連れて行ってもらいたい。ハーツが投げ、スーパーボウル制覇する瞬間をこの目で見届けたい。彼が報われる日が必ず来ることを願っています。ハーツが報われる日、多分、泣きます。

 

タイトルの久しぶりの当たりというのはNFLのことです。熱が覚める気配がありません。そして熱くなったスポーツ観戦というのはスーパーボウルのことです。もちろんレギュラーシーズン、ポストシーズンもかなり興奮します。プレシーズンはまだあまり触れてないです。そしてまだ日本のアメフトはわかりません。社会人とか大学とか、見たことないです。でもいつか見てみたいです。そしてこの当たりを引いてから、僕の中でずっと後悔していることがあります。どうしてもっと早くNFL倶楽部を見なかったのか。もし高校時代にNFLクラブを見ていたら。おそらく僕はフラッグフットボールのサークルあるいは社会人チームに入っていたかもしれません。僕が通っていた大学はアメフトもめちゃくちゃ強いので、おそらく体育会でアメフトをやるという選択肢はなかったと思います。線細いですし。とにかく今僕はあの楕円のボールを投げたい、キャッチしたい、そんな思いがあの日からずっと渦巻いています。そしてあの日、自分がこんなに熱くなれるスポーツがサッカー以外に見つかったことは、飽き性の僕にとっては奇跡です。しかもそれがプレーするのではなく見るだけでこんなに。正直サッカーですら見るだけでこんなに熱くなれませんでした。NFLは僕の人生の大事なピースの1つです。そしてこれからの僕の人生で大事なピースの1つになるということを確信しています。見るだけで、それも9月〜2月までしかないのにこんなに盛り上がれるスポーツを僕は他に知りません。NFLに出会えて本当に良かったです。そして次のシーズンが待ち遠しいです。

 

イーグルがスーパーボウル勝ったら満足して見なくなってしまうのでしょうか。。。そんなことはないと思いますが、唯一の不安です。。。

ワニ

最近は在宅勤務が中心となった。会社側も在宅勤務を増やそうとしているらしく、だったら社給PCも小さくて軽くした方が持ち運びやすいよね、というこで、最近入社した社員のPCは小さいものが配られている。僕が入社したときは15インチのでかいPCだったのだが、それが契約満了になり、ついに小さいPCがやってきた。でかでかPCを使っていたのでカバンも大きめのものを使用していたのだが、PCに合わせてカバンも小さくすることにした。

カバン。というかリュック。今まで使っていたリュックの中で一番小さいのに、一番高かった。リュックの下の隅の方でワニが自分のいるリュックの外を見つめている。きっと工場に残された仲間のワニたちをひとり思っているに違いない。おい、お前。お前がいるのといないのとじゃこのリュックの値段は遥かに変わるんだぞ。自身を持て。怪我とか病気には気をつけて長い現役生活送れるように頑張れ。仲間たちにも会えるかもしれないからな。

ということで、あの某ワニのリュックを買った。自分にとっては高かった。。。もう最近はおしゃれに金をかけることに意味を見いだせなくてなっていた。ユニクロ、GU、しまむらで楽しいし、満足できてしまう。給料通りの安い人間になってしまった。でもしまむら安いし楽しいし他人と被らないしいいんだよな(アベイルも)。しかし、リュックまで安っぽいやつ使うのはいかがなものか、と思い、見栄を張ってみることにした。自分の中で靴と鞄にはお金をかけていいことにしているので、たまには高いのを買おう。休みの日には社員証とPCをリュックから出してたまにそのリュックで出かけたりもするか。

 

メッセンジャーバッグが便利そうだったので次買うときはメッセンジャーバッグにしてみようかな。リュックだと雨の日傘からはみ出てリュック濡れるんだよな。。。

はじめまして、ろもです。

 

数年前、まだ大学生だったころ、地下鉄日記というのをやってました。
ブログを書く力、考える力、感性の乏しさから2ヶ月ぐらいでやめてしまいました。それは1ミリの疑いもない実力不足でした。うまくやれると思っていた自分の長い鼻をポッキリ折られた挙げ句、原型がわからなくなるくらい鈍器で殴られたような感覚です。

 

あれから数年経ち、自分も社会人になりました。鼻の形も少し戻ってきました。ということで、文章の練習がしたいと思い、ブログにリベンジすることにしました。
以前は書きたいという衝動に駆られて勢いで始めました。しかし、平凡な人生を送ってきた凡人の自分にはその衝動を持続させる力がなく、一瞬にして蒸発してしまいました。なので今回はとにかく文章を書くということをメインにやっていこうと思います。日々感じたことを言語化すること。この力を養いたいと思います。あとは楽しむことも大事にしたいと思います。前回は衝動で書いてたので、やってて楽しいとかそんなものはありませんでしたので、楽しく気楽にやろうと思います。


また、当時の自分と今の自分とで変化がたくさんありました。趣味、生活、心。そんなものまで書いてみたいなと思います。あのときはこうだったものが今はこうなった、と気付くことが増えたので、自分を振り返って整理する機会にもしようと思います。


時間を見つけて書いていこうと思います。更新頻度はおそらく低めになるだろうと思いますが、機会があれば読んでいただき、さらにご指摘いただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。